消えた記憶

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tokyo

先日、隣町にある実家に帰ったとき
坂下にあったはずの個人経営の中華料理店「G沢飯店」が
すっかり消えて無くなってしまってて愕然としました。
そこはいつの間にか今風の小奇麗なアパートと
味気ない駐車場に生まれ変わってしまっていました。

元々大手自動車メーカー社員寮が目の前だった中華店でしたが
何年か前にリストラ策でその社員寮も無くなってしまいお客さんも激減。
以後細々と営業を続けて来ていた様子だったのですが
先日その横を通ったら、とうとうお店は姿を消してしまっていました。
僕にとっては子どもの頃にときどき親に連れられて
ラーメン餃子セットや中華丼などを食べに来ていた店でしたが
もっと早くにこっちに行った時に
気付いて写真を残しておけばよかった…と思いました。

が、今頃後悔しててももうどうしようもありません。
僕は自分の中の大事な記憶をまた一つ失ってしまったのだ…と思いました。

古くからの建物が年々ポンポンと壊されて消えてゆくニッポンでは
これはもうどうすることも出来ない出来事なので諦めてはいるのですが
それでもやはり自分にとっての身近だった風景が
突然急激に大きく変わってしまうと戸惑いを覚えます。

......

最近、少し古い昭和な商店の看板であるとか駐車場の「P」のペンキ文字
であるとか、昭和時代にはそこかしこに当たり前に存在していた
ニッポンの看板文字に大きな興味を持ち始めるようになって来ていました。

今どきの看板文字は、デザインも皆洗練されてしまい
パソコンで簡単に作れてしまうデザインフォントが使われているケースが
あまりにも多く、まるでそこには個性は見られず
ハッキリ言ってつまらないものだらけなのですが
僕が子ども時代にその辺に当たり前のようにして存在していた商店の看板などには
何ともいえない独特のセンスや個性が実はあったことに
最近になってようやく気付きました。

そういう商店・看板のある風景をこれから少しずつでも 
撮っていこうと、上記の中華料理店の消滅も大きな引金になり
思うようになりました。


(掲載の写真は数年前に或る意味、"看板文字"に惹かれて撮った一枚)



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Comment

ちまま | URL | 2014.08.15 21:40 | Edit
建物も変われば道も変わっていたりで、戸惑いますね。
先日の花火も、主人が大学生の頃によく通ってた道が新しくなってて、曲がる場所も変わってたりでね。
神戸の街もよく歩いたのに、私の中ででもいろいろ忘れてしまってたりです^^;
noriさんの思い出のお店は、noriさんのココロの中でずっと残っていくから。。。
写真に残したいキモチは、うん 納得です♪
miura | URL | 2014.08.15 21:43
こんばんは。Noriさん。
そう、個人(私)と社会(マス?と言ったらいいのか)との関係性について改めて考えが向きました。そこには大きな継続する流れがあってとても強い。一瞬たりとも途切れることがない...と書いていたら窓の外に大きな月がゆらゆらとのぼってくる...なんだか示唆的ですw

miura
楡 | URL | 2014.08.16 08:46
昨日、父が幼少期を過ごした町に行ってきました。
なんせ60年ほど経っているわけです。街並みどころか道そのものも当時とは全く違ってしまっていたようですが、それでもそんな街中に昔の面影を見つけながら父はとても楽しそうでした。

話は変わって。
実は私も看板が大好きで以前からよく看板写真を撮っていました。
特に下町のスナックや飲食店の看板が好きです。
見るだけでその町の空気とか歩く人のざわめきなんかが伝わってくるような気がして。
看板文字も結構オシャレだったりするんですよ。
nori | URL | 2014.08.16 10:27 | Edit
ちままさん、コメントどうもありがとう。
233を辞めてから、やっぱりというべきか、
ここにコメント残してくれる方が激減してしまいまして…
で、思わずFbで催促してしまったみたいな感じです…。(恥かし)
自分一人で何かを発信してやっていくということが、どれだけ難しいことか
ということが、こういうBlog一つ取ってみても解かって来ます…。

花火はあれ、神戸方面だったんですか?
ちままさん、若い頃、神戸をよく歩かれていたんですね。^^
神戸というと大震災で街が一度壊滅状態になってて
そういうとき、多くの人たちの記憶の風景は
ごっそりと消えてしまってるんでしょうね。
そういう大きな経験をしたことがない自分なので
ちょっと自分の街にあった中華屋さんが消えたくらいで
こんな大袈裟な話を書いたりして…情けないです。

自分の場合、こういう思い、
どうしても結構強く沸いて来てしまうんです。
昔っからそうでした。
一時期は、それでちょっと精神病んでしまったこともあったり。
未だに古いものが好きというのも、何かその辺と繋がってる気がします。

我ながら、変な性格だなと思います。
古い街が建物が、呆気なく消えてしまうことについつい悲しみばかり
覚えてしまって、どんどん先へ先へ、新しい方向へ新しい方向へと
ずごいスピードで進んでいく世の中の動きに
しっかりとついて行くことがいつまで経っても出来ません。
世の中に登場して来る新しい空間やモノ達に、
この頃ほとんど魅力を感じないんです。
(自分は、何か少しおかしいんだろうか…?)

もし自分に写真というものが無かったとしたら
自分はどうなっていたんだろう?と思います。

いつ消えてもおかしくない風景は、
今後見つけたら後悔しない様にしっかり撮っておこうと思います。
nori | URL | 2014.08.16 10:48 | Edit
miuraさん、コメント有難うございます。

地元の昔から続いていた中華屋さんが消えたという話が、
少し化学変化を起こしてしまったようです。

miuraさんはいつでも「私」としっかりと向かい合いながら、
「窓の向こう側」を撮り続けています。
僕はその辺がmiuraさんよりも少しゆるくて、
「私」というものがいつも何処か、曖昧です。

miuraさんの写真は詩ですが、
僕のそれは散文詩みたいな辺りでうろうろしています。
詩に憧れつつも、完全な詩にはなりきれずにいる…。

この先、どういう方向性で進んで行こうか。
そんなことばかり考えながら、日々過ごしています。
nori | URL | 2014.08.16 19:14 | Edit
楡さん、コメントどうもありがとう。

お父さんが少年時代に過ごした街を一緒に歩いてきた
ということだけ読んでも、
楡さんはいい時間を過ごして来られたんだなぁ、と思います。
懐かしそうに、楽しそうに歩かれていた、お父さんの姿、
何となく想像してしまいます。
嬉しい気持ちになれますよね、一緒に歩いているだけでも。

看板写真、いいですね。
いや、僕は今迄、そういう文字というものを出来るだけ写真の中からは
排除して来ていたところがあったんです。
この日本で文字を写さないように街並みを写す、ということは
意外と至難の技でもありました。
下町の飲食店や飲み屋さんなんかは、ホント、個性豊かな店構えも
あって、見ていて面白いですよね。
ところが、近年の郊外というと、もう何処もかしこもコンビニや
ファミレス、チェーン店ばかりが並んでて、個人商店はほとんどが
閉店してしまっている、なんてことが多くなって来ました。
何だか寂しいことだなぁ、と思う反面、何で日本人というのは
大きなものにどんどんすり寄って行くだけで、自分たちの力で
何かを興さないのだろう?という、疑問ばかりが沸いて来るんです。

東京の一極集中化という問題も、結局はその辺が一番の原因だろうと
思います。地方都市の労働人口の空洞化というのも、そこでしょう。
このネット時代に、何でそうなるんだろう?と思うわけですが、
現実はまったくわかりません。

すみません、話が大きくなり過ぎました。
看板風景、これからはいろいろと撮っていこう、と思ってます。
楡さんの撮ったFbに載せてた那珂湊の看板…
あれは、本当にいい写真でした。
ああいう感じの看板写真、また機会あったら是非見せて下さいね。
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